靖国参拝について考えてみた
当ブログもだらだらと日常の愚痴を吐いているばかりではあれですので、社会派ブログとしてさまざまな社会問題について考えてみるブログに転身してみようかと思います。多分長続きはしないと思うのですが、まずは小泉首相の靖国参拝について考えてみました。
そうは言っても記者会見をちょっとワイドショーで見たくらいなのですが、相変わらず論点をすり替えるのがうまいですね。3つの論点なんて仰ってましたが、これについて思ったこと。
>1つは、中国、韓国に不快感を与えているからということがあるが、日中、日韓の友好は十分に自分としても配慮して今まで進めてきている。どの国でも1つや2つ意見の違いがある。その1つや2つの意見の違いを殊さらここまでのことにするのはいかがなものかと。人によってはブッシュ大統領が言ったら改めるだろうなんていうことを言う人もいるけれども、もし言ったとしても私は絶対にやめませんと。そういうことを言うようなブッシュ大統領じゃないと思うけれどもと、そういうことも言っていました。
これに対しては誰かが言ってましたが、その1つや2つの意見の違いが決定的な亀裂を生むことがありますね。郵政民営化反対というだけで自民党から追い出された議員さんたちはどうお考えなのか、気になります。
また、自分がどう思うかは自由ですが、それに対して違う考え方をしている人たちもいるということですから、自分の思うようにさえ行動していればいいというものではなく、配慮というものをするべきだと思うのです。
>第2点は、A級戦犯が合祀されているからという論点があるけれども、これはA級戦犯を参っているのではなくて、特定の人のために参拝しているのではない。あの戦争で国のために命を落とされた方々のことを、自分としては片時もそのことを忘れていないし、それに対して参拝しているんだということでありました。
自分がどう言い張ろうと、そういう行動に見えてしまうところが問題なのでしょう。李下に冠を正さずなどと言いますが、一国の宰相たる者、誤解を招くような行動を取るべきではないように思います。
>3つ目は、憲法違反じゃないかという論点があるが、これは宗教として神道の施設に参っているのではなくて、こうした戦争の、先ほど言いましたような方の霊にお参りしているのであって、神道という形式に、また神社に参拝しているというつもりはないというご発言でございました。
神道という形式に則って神社にお参りしているのは事実ですから、「つもりはない」で済むものではないと思います。
やけに「心の問題」と発言されていますが、心の問題ならば行動には移さなければいいことです。常に心でお祈りを捧げていれば、それで十分じゃないですか。参拝というのは形ではなく心が大切なのでしょう。
憲法で保証されている信教の自由というのはまさに心の自由を保障するものであって、政教分離の原則が存在する以上、公人中の公人である総理大臣に行動の自由までは保障されていないと見るのが自然なのではないでしょうか。
大した考えもなく書き始めた上に、眠いのです。あまり深入りしたいテーマでもないですので、この辺りにさせていただきます。
本日もご協力お願いいたします →
そうは言っても記者会見をちょっとワイドショーで見たくらいなのですが、相変わらず論点をすり替えるのがうまいですね。3つの論点なんて仰ってましたが、これについて思ったこと。
>1つは、中国、韓国に不快感を与えているからということがあるが、日中、日韓の友好は十分に自分としても配慮して今まで進めてきている。どの国でも1つや2つ意見の違いがある。その1つや2つの意見の違いを殊さらここまでのことにするのはいかがなものかと。人によってはブッシュ大統領が言ったら改めるだろうなんていうことを言う人もいるけれども、もし言ったとしても私は絶対にやめませんと。そういうことを言うようなブッシュ大統領じゃないと思うけれどもと、そういうことも言っていました。
これに対しては誰かが言ってましたが、その1つや2つの意見の違いが決定的な亀裂を生むことがありますね。郵政民営化反対というだけで自民党から追い出された議員さんたちはどうお考えなのか、気になります。
また、自分がどう思うかは自由ですが、それに対して違う考え方をしている人たちもいるということですから、自分の思うようにさえ行動していればいいというものではなく、配慮というものをするべきだと思うのです。
>第2点は、A級戦犯が合祀されているからという論点があるけれども、これはA級戦犯を参っているのではなくて、特定の人のために参拝しているのではない。あの戦争で国のために命を落とされた方々のことを、自分としては片時もそのことを忘れていないし、それに対して参拝しているんだということでありました。
自分がどう言い張ろうと、そういう行動に見えてしまうところが問題なのでしょう。李下に冠を正さずなどと言いますが、一国の宰相たる者、誤解を招くような行動を取るべきではないように思います。
>3つ目は、憲法違反じゃないかという論点があるが、これは宗教として神道の施設に参っているのではなくて、こうした戦争の、先ほど言いましたような方の霊にお参りしているのであって、神道という形式に、また神社に参拝しているというつもりはないというご発言でございました。
神道という形式に則って神社にお参りしているのは事実ですから、「つもりはない」で済むものではないと思います。
やけに「心の問題」と発言されていますが、心の問題ならば行動には移さなければいいことです。常に心でお祈りを捧げていれば、それで十分じゃないですか。参拝というのは形ではなく心が大切なのでしょう。
憲法で保証されている信教の自由というのはまさに心の自由を保障するものであって、政教分離の原則が存在する以上、公人中の公人である総理大臣に行動の自由までは保障されていないと見るのが自然なのではないでしょうか。
大した考えもなく書き始めた上に、眠いのです。あまり深入りしたいテーマでもないですので、この辺りにさせていただきます。
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- [2006/08/20 23:59]
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